失われた名刀
古来より、日本刀は単なる「武器」としてではなく、守り刀のように、美しく神聖なものとして大切にされてきたと言っても過言ではないでしょう。大切に扱い、よく磨き上げ、厳重に保管してきた歴史があるからこそ、近年でも私たちは、博物館などでその猛々しさや美しさを変わらずに鑑賞できるのではないでしょうか。しかし、どんなに大切にしていても失われることはあるでしょう。徳川8代将軍吉宗の時代に編纂されたと言われる「享保名物帳」には、この当時既に焼失してしまっていた名刀80振りが「焼失の部」として紹介されているようです。名物帳に記載されている248振りの内、およそ3分の1もの名刀が焼失していると記されていると言います。その中には、正宗の年紀入りの短刀「江戸長銘正宗」「大坂長銘正宗」など天下三作を含めた名刀が軒を連ねて並んでいたそうです。気になる名刀80振りの焼失原因の内訳としては
①本能寺の変で2振り
②大坂城の落城で9振り
③明暦の大火で69振り
以上のように記されており、なんとほとんどの名刀が、戦乱によるものではなく、火事によって失われたと記されているようです。明暦の大火は江戸時代最大の火事と呼ばれ、現在の千代田区と中央区のほぼ全域、また文京区の約半分、そのほか千代田区に隣接した地域を焼き尽くしたと伝えられ、江戸全体で甚大な被害を被っていると言われています。そのため被害はもちろん刀剣にも及んだのでしょう。江戸城では収蔵してあった刀剣類のうち、30振りが入った刀箱30箱の内、25箱が焼けたのを始め、実に1051振りもの太刀、刀類が焼失したと言われています。この数から、大名屋敷でも数多の名刀が焼失したと考える事ができるでしょう。